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森川眞行ブログ

5 Minutes/Stranglers

大学受験をしていた1977年、大学に入学した1978年から1981年までの間は、ロックンロールの歴史の中でも、パラダイムシフトを迎えていた時代だったと思う。それらのすべてのきっかけは、1977年に起こったパンクロックがきっかけだ。その後のニューウェーブ、テクノ、ノイズ、ハードコア、インダストリアル、ネオサイケ、スカ、ニューロマンチック、エレクトリックダンサブル、オルタネティブ…。とさまざまな音楽ジャンルが産まれたのがこの時代。多様化する音楽の基本になったのが1977年のパンクロックだったと思う。

パンクロックは音楽のスタイル…と定義するのは難しい。僕がパンクロックから教わったのは、以下の3つだ。

■今までにない「新しいもの」であること
■自分たちの手で創り出すこと
■やりたいことを、すぐに行動に移すこと

ストラングラーズをパンクロックとして認めない見解もあるようだが、僕はストラングラースはパンクだと思う。パンクだから髪の毛を短く切って逆立てる、ガリガリに痩せこけた体型に穴の空いたジーンズか、レザーパンツ。鋲を打った革ジャン。こういうスタイルであることがパンクだと信じている奴はアホだ。同様にギターはコードを打ち鳴らすだけ…みたいな演奏スタイルでなければパンクではない…という見解もアホだ。これらはパンクではなく、セックスピストルズやダムドやバズコックスとかのカバーなのである。まあ、他にもクラッシュとかジェネレーションXとか、同様の音楽スタイルがこの時期に多く出て来たから、ひとまとめにパンクと呼ばれるのだろうけど。

そういう見解では、ストラングラースはパンクではないかもしれない。メンバーのひとりはヒゲを生やした長髪だし、オルガンやシンセなどを使っていることで、パンクではない…という見解もあるだろう。音楽面でも、いわゆるガレージサウンド一辺倒ではなく、凝った音楽創りをしている。そういう意味では、パンクという言葉を単なるレッテルを貼るような意味で考えるのであれば、パンクというジャンルに入れない方がストラングラーズの名誉だと思ったりする。しかしながら、ストラングラーズがデビュー時から確立していた演奏スタイルは、1977年の段階で「今までにない新しい」音楽スタイルだっと思う。

その音楽スタイルの要は、やはりジャン・ジャック・バーネルのベースにあったと思う。通常バンドをやる場合のベースの役割は、あくまでもリズムの補助、あるいは低音部を支える。という役割だ。全体のアンサンブルを考えると、メインになる楽器ではなく、あくまで後ろで楽曲を支える役割だった。しかし、ストラングラーズの場合は、まずベースの音がデカイ。そのデカイ音量のベースが、今までなら「リズムギター」(…なんというダサイ呼び方)が担当してい領域でリズムをカッティングしたり、リフで楽曲をグイグイ引っ張るようなやりかただ。そして時にはギターがリズムを刻み、ベースがソロを弾くような場合もある。

今となっては、別段何ということのない音楽スタイルかもしれないけど、はじめてストラングラーズを聞いたときはぶっ飛んだ。おそらくそれは僕だけじゃなく、1977年当時にパンクやニューウェーブを開始していたバンドマンの多くは、何かしらジャン・ジャック・バーネルに影響されていると思う。今まで「日陰モノ」というベーシストが、急にフロントマンとして注目を浴びるような感じだ。

ストラングラーズの中では、この「5 Minutes」が一番好きだった。ストラングラーズを初めて買ったのは大学2年の時の、ライブ版である「X CERT」だった。それまで友人に借りたファーストアルバムも聞いていたが、このライブにはぶっ飛んだ。その中では、アルバムのクライマックスで演奏する「5 Minutes」が僕にとっては、特別に光り輝いていた。

この「5 Minutes」は、アルバムで言うところのセカンド「NO MORE HEROES」とサードアルバム「BLACK AND WHITE」の中間にレコーディングされた曲だ。再発されたCDにはのボーナストラックとして入っているらしい。そういう区切りの時期でもあるせいか、初期のストラングラーズの総決算みたいな曲だと思う。要するに思い切りがいいのだ。

1979年くらいになるとい、初期の多くのパンクバンドは解散していることが多い。でもストラングラーズは生き残っていた。というか、自分たちにやりたいことがあるから、次々に新しいアイデアを形にしていたのだと思う。そしてストラングラーズは、演奏がうまかった。このアルバム「X CERT」を聞くと、本当に演奏能力が高いことを知る。当時のパンクバンドって、やはりライブがメインで活動していたが、その演奏そのものは、ひどい出来だった。演奏がヘタクソだから、パンクなんだというトホホな見解もあるくらいだ。

僕は「5 Minutes」は、シングル盤でも持っている。それは「X CERT」のライブ演奏から1年後くらいに、ドーナツ盤(確か日本語版)で購入した。つまり演奏としてはライブで聞いた方が先だったのである。そのシングル盤を聞いて驚いた。スタジオでの演奏内容がほとんどシングル盤と同じなのである。彼らがいかに練習熱心で、かつ演奏能力が高いのかがわかる。

そして、それは1980年に来日したコンサートでさらにオドロクのである。ストラングラーズを見たのは、京都大学西部講堂だった。かつてアングライベントのメッカは、この当時パンクのメッカになっていた。季節は冬。ご存知のように京都の冬は厳しい。多くのパンクスは革ジャンに身を包んで西部講堂に集合した。座席なしのオールスタンディング形式のギグ。とにかく入場順にステージの前から詰め込まれる。僕らは、昼一には西部講堂に集合していたので、ステージから2メートルも離れていない所だった。やっぱパンクってのはこうでなくっちゃ。

もう演奏が始まるまえから息苦しい。周囲は朝の通勤時の中央線のように、全く身動きできない状況。そんな中でストラングラーズの演奏は開始された。当然、演奏開始から会場全体がポゴ状態。この当時はダイブするやつは少なかった。ステージの脇には、本当にプロレスラーみたいな体型をしたスタッフが何人かいて、ステージに上がろうとする奴がいると、その場で蹴飛ばしていたし、あがってきた奴は自分からダイブする間もなく、そのままステージの脇にずるずると引きずられていった。

コンサートが進むにつれて、集団酸素欠乏状態で、朝の通勤電車状態のまま、つまり立ったまま気絶する奴が出て来た。ステージのプロレスラーは、立ったまま失神している客を見つけると、まるで大きな大根を地面から引き抜くみたいに、ズボン!と気絶している人間を引き抜いて、ステージの横に並べていた。それはまるで死体安置所か、冷凍マグロのようでもあった。気絶している奴の多くは女の子だった。

およそ90分間。あのストラングラーズサウンドが、ほぼノンストップで大音量で流れた。ほとんどMCなしのガチンコ勝負だった。僕が体験したライブの中でもベスト5に入ると思う。それは集団酸欠状態という異様な状況だったからではなく、ライブアクトとしての質の高さだ。

ライブが終わって、真冬の京都の寒空にコンサートを終えたパンクスが出てくる。殆どの客がまるで衣服を着たまま風呂に入ったみたいな状態になっていた。ディップでビンビンに尖った髪の毛は、汗でへなへなになっており、スージー・スーみたいなメイクをしたパンク少女は、レイプされたような顔になっていた。ドクター・マーチンの中にはまるで水が入っているようだった。そのまま靴を脱いでひっくり返すと、汗が水のように流れそうな感じ。…でもみんなニコニコして、頭から湯気を出して(冬の夜なんで本当に湯気出てたですよ)帰って行った。
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